則不得其正

今回は『論語』ではなく『大学』*1の一節を気学で読んでみましょう。

 所謂脩身在正其心者、
 身有所忿懥、則不得其正、
 有所恐懼、則不得其正、
 有所好樂、則不得其正、
 有所憂患、則不得其正、
 心不在焉、
 視而不見、
 聽而不聞、
 食而不知其味、
 此謂修身在正其心、

 いわゆる身を修むるはその心を正すにありとは、
 身に忿懥(ふんち)するところあるときは、則ちその正を得ず、
 恐懼(きょうく)するところあるときは、則ちその正を得ず、
 好楽するところあるときは、則ちその正を得ず、
 憂患するところあるときは、則ちその正を得ず、
 心ここにあらざれば、
 視れども見えず、
 聴けども聞こえず、
 食らえどもその味を知らず、
 これを身を修むるはその心を正すにありという。

5.先天定位盤 を使ってみます。

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怒り、視る=九紫火星
憂い、聞こえにくい=一白水星
楽しむこと、食べること=七赤金星
おそれ=八白土星
です。

まず気づくことは、「視れども見えず…」の部分は「忿懥するところあるときは…」と関係しているということです。同様に「憂患するところ」⇔「聞こえず」、「好楽するところ」⇔「その味を知らず」です。何も思いつきで適当に「見えず」と言っているわけではないとわかります。例えば九紫のことができない(怒る)なら、九紫の他の意味合い(視る)も壊れていく、ということです。”xができないならxの同カテゴリーのyもできないね、当然の結果だよね”という感じでしょう。

次に九紫・一白・七赤・八白を先天定位盤に当てはめてみると面白いことが解ります。この文は盤の反対に位置する2つを頭に描いて言っているとわかります。この図をみていると、両方同時に崩れると言っている感じですね。九紫なり七赤なり片側にとらわれすぎると、その反対側(一、八)まで崩れるという警告です。どこかが出すぎれば全体のバランスが崩れる。天と地に一本柱を立てて、その柱に向かって座り、自分と向かい合う。そうすることで修正せよということでしょう。天=六白、地=二黒です。これは盤の中心にあり、一番上と一番下にあります。この2つをつなげる線はまさしく地から天に向かって伸びる線ですね。正中線ですね。そこをベースに整えれば、心ここに在るということでしょうね。

ついでに五行で見てみます。「視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」は「九紫、一白、七赤」ですが、「火と水、火と金」の関係を持ってきていますね。水が悪いと火も悪くなる。だからやはり一つだけといっても外したり行き過ぎてはいけないということが解ります。

こうやって大学をみていると結構面白いです。気学の意味合いを使って言っているなという部分が多いです。さすがに孔子に匹敵するキレや深みがあるとは言いがたいですが興味深いです。
また大学には朱子の注釈のもの(大学章句)がありますが、個人的には章句よりも原本(旧本)の方をお勧めします。

ここまでの投稿で論語を気学・易にそって読むやりかたを5つ紹介しました。論語も大学も、日本語訳を読むだけでは、気学・易から言われているなと気づくことは不可能です。漢字オンリーの原文を眺めることでわかってきます。朱子などの後世の解釈本や日本語訳などは、気学・易から離れて書かれていて、場合によっては、彷徨(さま)よっている場合があります。やはり原文でしょうね。でもイキナリ原文を視ることはできないので、まず読み下し文を読んだ後に、原文を眺めると良いでしょうね。

*1:大学は礼記の一部分。孔子より随分後に作られたと言われている。韓愈(768-828)、程伊川(1033-1107)が注目し、のち朱子が四書の区分けに入れた。

勘とか霊とかは入れない

孔子、論語の述而に

 子不語怪力亂神。
 子、怪、力、乱、神を語らず。

雍也に

 樊遲問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之、可謂知矣。
 問仁。曰、仁者先難而後獲、可謂仁矣。

 樊遲(はんち)、知を問う。
 子曰く、民の義を務める、鬼神を敬うが之を遠ざける。これを知というべし。
 仁を問う。
 曰く、仁者は難きを先にし、獲るを後にす。仁というべし。

「敬鬼神而遠之」の部分と「子不語怪力亂神」は同じような感じですね。神や先祖は敬うけれども、それべったりにしない。それで判断しない。怪異や神秘のことは話をしない。

師に言われています。「九星気学風水(家相)の鑑定をするときには、一切の勘を入れないこと。ちゃんと気学の理論にしたがうこと。
またそれ以外の理論は一切入れてはいけない。気学の理論に系統の全く違う別の理屈を混ぜてはいけない。例えば霊の話や神秘の話、他の占術など混ぜてはいけない。」
たしかに論語に言われているように、理論を無茶苦茶にするような混同は「知」と言えませんね。ましてや神秘や霊のセイにしたり寄っかかったりしては「知」に程遠いですね。
学べば学ぶほど九星気学風水の理論は緻密であると驚かされます。かなりな理論だと感心します。それを中途半端にするのはもったいないですね。しかも生きかたを教えてくれます。

おまけで
「仁者は難きを先にし、獲るを後にす」ですが、論語の「古注」によると「まず労して、後に功を得る」で、「唐石経」には「難」が「労」になっているということです。(金谷治著『論語』による)
ここは個人的に「労」がしっくりきます。というのも、五行は「木→火→土→金→水→」の流れになっていて、「金」が獲得、成果です。水の苦労のスタート→木の発展から→火→土→金となりますから、成果を直ぐに獲得することはできません。水木火土をちゃんと踏んでいかないと結果は出ないです。金銭をすぐ求めても得られません。結果を得たければ一白水星の苦労から始めて順に積み上げないといけないですね。それを気学は教えてくれます。

吾十有五而志于學

これまで紹介した、気学を使って論語を読む方法は以下になります。

1.易、九星の個々の意味あい
2.五行
3.後天定位盤

これに加えて、以下を使っての読み方もあります。

4.廻座
5.先天定位盤

今回は4.廻座をつかってみましょう。

論語、為政に、有名な句がありますね。

 吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。

 われ十有五にして学を志す。
 三十にして立つ。
 四十にして惑わず。
 五十にして天命を知る。
 六十にして耳したがう。
 七十にして心の欲する所に從って、のりをこえず。

後天定位盤は次になります。

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この後天定位盤の数字は動きません。が、年にあてはめた場合は毎年、盤の数字の配置が変わります。1〜9の数字を毎年一年単位にあてはめて変えていきます。9年でもとに戻ります。
人間の年齢にそれを当てはめると、おぎゃーと生まれた時の赤ちゃんは盤の真ん中に居ることになります。
今の人の年齢の数え方だと0才から数えますが、昔は1才から数えましたね。数え年を盤で見ると1才は真ん中になります。一つ歳が増えると(数え2才)右下(北西)に移動します。次の年(数え3才)は少し上(西)にあがります。

a1

それを孔子が言った言葉に当てはめると、数え15,30,40,50,60,70才は以下に示す位置になることがわかります。

15

この位置と後天定位盤の一〜九を見てみます。孔子が言っている年齢は、この星のそれぞれの意味にぴったりなんですね。孔子はこれを頭において言っていたとわかります。人生におけるその時々のポイントを言っていたとわかります。順にみていきます。

15才のとき、一白水星の上にいます。
一白の上にいる時は全ての初めの時です。何かの志を立てる時です。学を志すには良い時期です。人生の志を立ててもよいでしょう。

30才、七赤金星の上にいます。
金星は成果・実りです。志をもって行動し発展してきました。その成果があるときです。七赤は経済の星でもあります。経済的な成果が出たともいっています。だから独り立ちです。それを素直に家族と悦んでもよいでしょう。七赤=兌(だ)=悦ですから。良い志・行動をしてきたなら悦びの結果を味わうことができるでしょう。わるい志や行動なら、このとき最悪な気分になっているかもしれません。

40才、八白土星の上です。
八白には迷う・山という意味があります。その惑いがなくなったと言っています。惑いを振り切るぐらいの大きな山を自己の中に作り上げろと言っています。新たな目標を設定してもよいでしょう。そこに向かうために今までの事を一旦止めて見直し、スタートする良い時です。この時は次の10年に向けて、今までのやり方を変えるに良いときです。

50才、九紫火星の上です。
九紫は一番上にいます。天に最も近いところです。智慧が得られるときでもあります。それで天命を知ると言っています。普通天命を知ることはできません。が、今の生活を正しくし、正しい生活を一心不乱に続けていると、使命がわかりはじめます。使命を実行し続けていくことにより、天命に到達する人もいます。それまでの50年間に太陽の日がサンサンとそそぐ時です。それまでやってきた事が明るさをまし、盛んになる時です。

60才、一白水星の上にいます。
一白は耳の穴、人付き合い、流動性という意味があります。水に木の葉が浮かんで流れるように、人の意見にしたがう事ができれば、その後の人生に良い流れをずっと引き込むことができますね。その流れは長く続くでしょう。最初は小さな流れでも、10年たてば大きなものになります。また還暦一つ前。2つめの人生のスタートとしてとらえ、周りの意見に耳を傾けて良いでしょうね。

70才、二黒土星の上です。
二黒には四角という意味があります。のりをこえずというのは、二黒のいう四角(範囲)からでないということを言っていますね。人間として許される範囲をこえないことですね。師の教えから外れることもないとも言っています。また孔子の場合は天命を知った後でしょうから、天命から外れることがないということでもあるのでしょうね。二黒に柔順という意味がありますから、全て宇宙に従った状態ということなのでしょう。行動は心に従い、心は宇宙に従っているということです。
二黒は地、基盤という意味がありますから、宇宙から外れない人間の基礎基盤をがっちり造り上げることができたと言ってもいます。おそらく孔子はここで完成と思っていないはずです。なぜなら二黒の先にはまだ三〜九がひかえているからです。二黒の位置ではまだ芽がでていないのです。だからこの基盤をもって次のステップを望んでいたはずです。易経の最後は火水未済=未完成になります。未完成であるからこそ次へのステップがあると言っています。易経の彖伝、象伝、文言伝、繋辞伝、序卦伝、説卦伝、雑卦伝を書いた孔子ですから、完成と思っていないというのは予想がつきます。
この次の80才は三碧の上に廻座しますが、もし孔子が続きを言うなら何と言ったか考えてみると楽しいでしょうね。

礼にあらざれば視ず

論語、顏淵に、

 顏淵問仁。
 子曰、克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉。為仁由己、而由人乎哉。
 顏淵曰、請問其目。
 子曰、非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動。
 顏淵曰、回雖不敏、請事斯語矣。

 がんえん仁を問う。
 子曰く、「己を克(せ)めて礼に復(かえ)れるを仁となす。一日己をせめて礼にかえれば、天下仁に帰す。仁を為すこと、己による。」
 顏淵曰く、「請う、其の目(モク)を問わん。」
 子曰く、「礼にあらざれば視ることなかれ。礼にあらざれば聴くことなかれ。礼にあらざれば言うことなかれ。礼にあらざれば動くことなかれ。」
 顏淵曰く、「回は不憫なりといえども、この語を事とせん。」

長ったらしいので一部だけ取り出します。本当は孔子の発言は全て繋がっていますが、前半と後半を繋げる部分については最後にヒントを出して終わりにします。
では分かりやすい後半をみましょう。

 礼にあらざれば視ることなかれ。
 礼にあらざれば聴くことなかれ。
 礼にあらざれば言うことなかれ。
 礼にあらざれば動くことなかれ。

どこかで聞いたような文ですね。でもこちらは4つあります。4つでないといけないのです。3つではダメ。
それは後天定位盤をみるとたちまち解ります。

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これにて今回はおしまい、、、にすると、気学を勉強していない方にはサッパリなので、続けます。

視る=九紫火星
聴く=一白水星
言う=七赤金星
動く=三碧木星

なんです。これが全てです(笑)。

視る作用、目は九紫が担当しています。
聴くのは一白。聞こえにくいという病気とか、中耳炎とかは一白の凶なんですね。だからここは一白です。
七赤金星は易で「兌(だ)」と言って、「説(と)く」という意があります。だから話すことは七赤。
三碧木星は行動の星です。また、太陽が昇るところの東であり、全てが動き出す時間でもあります。だから動くは三碧なのです。
この意味を知ると、何故孔子がこの4つにしたかスパっとわかりますね。

この東西南北4つのことを大事にせよ、と言っているわけです。

この4つを大事にした例として、例えば「子午線」というのがあります。気学では十二支も方位に当てはめて見ます。「子ね」は真北に位置し、「午うま」は真南に位置します。子午線は南北の線なんですね。
北は一白で、最初の決意を決めるところです。よしやろう!と決めるところです。発心なんです。これが子なんです。
南は九紫で頂点です。だから最終目標というものになります。
人間は意志の方向性が大事で、初念・発心をどこに向けるか、そのベクトルが大事です。意志にそって人は動いてゆきますから。人生は動きますから。だからこの子午線のラインは大事にされたのです。どういう目標にしているのか、どういう発心にしているのか、それで人生を創りあげていきます。
良い目標、良い発心であれば、人生をよりよくしていけます。でも逆ならぶち壊しです。
南北は陰陽から見ても面白い線なんです。陰陽はまた機会があったら話します。

東西は太陽が昇り始めるところと沈むところ。ここも大事です。どうやって太陽を昇らせるか(日の目をみさせるのか)、そして何を成果として得るのか。太陽がセットする西は、太陽が昇ってまわってきた成果が分かる時です。人間で言うと人生の成果。それが悦びになるものかどうかがとても大事ですね。どう立ち上げ、どう終わらすか。それを大事にせよということです。発心に従って足元を固め、それを表に出す。日(芽)が出るとき、どう固めてきたのかがわかる訳です。あるいは固め方が弱いと芽がでないかも知れない。そして出た芽がそだち、どのような実をつけるのか。その実をみれば歩いてきた人生がどういうものであったか解ります。腐った根性を持った芽を出せば、成果はボロボロでしょう。逆に努力の芽を育てて出せば結果は違います。

自分の未来を変えるためにも、この四つを大事にせよと言っているわけです。
単に口に気をつけろとか言っているわけではないんですね。その裏にはこんな考えがあります。

おまけ
「克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉」について、上級者向けにヒントをだします。天下は仁に帰すと言っているので、「仁の宇宙」であること。「君子以非禮弗履」と別の所で孔子は言っていること。です。感慨深いですよ。スルメのようにじっくり味わえます。

仁そのうちにあり

論語の子張に、孔子の弟子の子夏(しか)が言ったという文があります。

 「博學而篤志、切問而近思、仁在其中矣。」
 ひろく学びてあつく志し、切に問うて近く思う。仁その中(うち)にあり。

この文をみた時、最後でつまずきませんでしたか?「ひろく学びて篤く志し、切に問うて」までは普通にわかります。”ああ、いっぱい勉強して志をもって自問自答するとか人に聴くということなのかな?”みたいな感じでしょう。
でも続く「近く思う」ということが何を指しているか分からない。さらには、なぜそうすることが「仁」の中にあるのでしょう?なぜ仁なのか?
ここで理解に苦しむと思います。

今回は「益は三友」「すくなし仁」と違う読み方をします。
五行と後天定位盤というものを使います。

順にいきます。

まず、五行の図をおさえておきます。五行は木火土金水の循環です。木によって火が生まれます。火から土が生まれます。それで循環します。循環することが自然の摂理で、人間も、この循環に沿った生き方が自然な姿となります。
また五行を方位に当てはめると、木星は東、火星は南になります。
これらをしっかり頭にいれておいてください。

五行2

博學而篤志
「学び」全般は三碧(さんぺき)木星です。
学び・知識が深くなり、昇華されると智慧になります。智慧は九紫(きゅうし)火星です。同時に九紫には情熱・目標という意味があります。
つまり「ひろく学びて篤く志し」というのは三碧木星、九紫火星をさしていて、「目標をしっかり持ち、明るく情熱を持って学びを深めよ」と言っています。
学習は三碧木星。木星だから東です。篤い志しは九紫火星。南です。
五行の図を見てみましょう。木から火にながれる道筋(矢印)になります。だから「博學而篤志」は木から火を生むやりかたを言っている。木→火となるためのコツをここでは言っています。
この順番は五行の順に従っていて、自然にそったやり方だとわかります。この道が天の摂理。この道でいけ、といっています。

気学を外して考えても、これは当然の事だとわかります。ただ漫然と勉強している、目標設定がなくダラダラしていると、さっぱり成績はよくないですよね。人生においてもそうでしょう。そこを木→火に沿って言っています。

また注目点は「博」の字です。白川静の字統によると、「博」と言う字は「専」というのがもとになっているそうです。「専」は束ねた苗木を手にしている姿。それを植えていくことから、法律を宣布するなどの「しく」という意に使われるようになったといいます。それから大いにとか広いという意が出てきたとあります。
そうすると元の苗木を手で持って(植える)意味から見ると、「博学」というのは単に情報量が多い事だけではないですね。苗を地面に植えるときは地を掘る必要があります。しっかり地に刺す必要があります。だから「博学」とは、深く深く理解し、しっかり自分の中に植えつけるという事だとわかります。九紫には研究という意味があり、それは深い思索・思考をともないます。九紫の意味から見ても「博く(ひろく)」は単にいっぱい知れというわけではなく、深く理解し根付かせよということです。字統によると「博」の「十」は「干」とあります。「干」=「幹」です。この事からも、しっかりやって柱にせよ、と言っていることがわかります。

これが「博學而篤志」の背景です。

切問而近思
そうすると「切に問うて」という意味も自ずとわかります。九紫は深い思索と情熱ですから、「切に問う」=九紫とわかります。
ところがここからが少し面白い。
「近く思う」なんです。
これは何をいっているかというと、火から土を生む道に入れ、と言っているわけです。火→土へのコツを言っている。

「近く」は「足元」です。「基盤」です。足元・基盤は二黒(じこく)土星です。「近く思う」は「足元を見よ、基盤を見よ」ということなんですね。

前半の文は木→火のコツを言っていたのでしたね。博く学んで篤く志して、どんどん発展していきます。木から火に至るときに実践して伸びていきます。でもある程度伸びてきたら、今度は定着が必要です。三碧のイケイケドンドン(日の出から南中に向けて太陽がどんどん昇っていく)をしっかり定着させる必要がある。そこで今度は内省・脩省が必要になってきます。地固めですね。「この真の意味は何であろう?今の自分はこれで良いのか?今私が行ったことは果たしてよかったか?」この繰り返しが足元を固めます。足元は二黒。つまりこの意味からも「二黒土星のことを行え」といっています。それが人間の基盤になると言っています。火→土へのコツを言っています。

また土星には蔵するという意味もあります。しっかり学び(木)、深く考え(火)ることから得られたものを深く脩省してたくわえよ(土)。これが自然の摂理であり、人生を切り開く基礎になるのだ、人間力の基盤になるのだと。そう言っています。

「学ぶ」というのは別に教科書を読めとかの狭義ではなく、人生で起きるイベントに際しての学びもありますよね。人生においても目標をもち、しっかり今の自分と目標との差を考え、日々実行する。あるときは先人の智慧に照らし合わせながら。そうすると自ずと人間力というものがつきますよね。人間の基礎体力というか基盤ができます。それこそが大事ではないでしょうか?その蓄積があって、それが表ににじみ出るようになると、良い人ねと言われるようになるでしょうし、さらに進んで周りの人や天が佑(たす)けてくれるようになるでしょう。それを「徳があるねぇ」と我々は言っていますよね。それを創るコツみたいなものをこの文は述べていると解ります。

仁在其中矣
ここまで理解できれば「仁在其中矣」がわかりますね。なぜ「仁その中にあり」なのか。
「すくなし仁」で言いましたが、「仁=二黒土星」です。
ここまでで人間の基盤を創るコツ、人間力(人格)を高めるコツとして、三碧(木)→九紫(火)→二黒(土)という話をしてきたわけです。二黒の話をしてきたわけです。二黒=仁です。つまり今までの話は仁を得るための話だったのです。そこに確かに仁が存在します。こういうことなんですね、この文は。
全文を今風のくだけた言い方で言えば「これこれこうやるって、まったくもって仁だよねぇ〜(感慨深げに言う)」という感じでしょうか。「それって絶対仁だよね!ね!」という感じでしょうか。「矣」と強調感嘆しているので「仁そのうちにあるかな」と言い直しても良いかと思います。今までの事を気学にそって理解できていれば、本当に感慨深げになること間違い無しです(笑)

後天定位盤をみるとさらにわかります。後天定位盤は、一白〜九紫を、それぞれの方位に当てはめたものです。
太陽は三碧の東から南の九紫にいたり、そして西南の二黒に至る。太陽の運行から見ても、この文は、後天定位盤も頭において言っているとわかります。九紫と二黒は隣り合わせですから、火→土の事を行うことが大事とわかります。
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孔子の弟子は歴史・思想研究ではあまり取り上げられませんが、論語の一部は孔子の弟子の発言です。それらを気学に従って読むと、弟子も凄いなぁと思います。

巧言令色鮮矣仁

「巧言令色、鮮矣仁。」(こうげんれいしょく、すくなし じん)
論語、学而にある言葉です。有名ですね。

みなさんこの文を最初見た時「ん?」と思ったことはなかったですか?口先だけの人間は仁愛がない?んー?信用じゃないの??となりませんでしたか?私は学校で習った時理解できませんでした。でも気学から見るとスパっとわかります。

気学にそって見てみます。最も大事な語は「仁」です。これは誠実さとか親愛とかと趣が少し違っています。
「仁」はズバリ「二黒土星(じこくどせい)」のことです。

二黒の意味は「地」。大地です。
この地球を考えてください。大地があります。大地のおかげで植物はうまれ成長します。生物がうまれます。人間が立ってられます。人が生活できます。なんと鉱物資源も地下水もあります。人間は地からたくさんの物を頂きます。そして地球は、人間が地からとっていることに対して、何一つ文句を言いません。凄いことだと思いませんか?産み、育て、与えているけれど、何も要求しない。無償の愛ですよね。
母親もそうですね。子供からの見返りを求めることは一切ない。そこには産み育み成長させることだけがあります。そこから二黒には「母」という意味もあります。
つまり「仁」とは、地球の愛、無償の愛、母の愛、やさしさという意になります。

さらに。
仁=二黒、二黒=地。地がなくては人は生きてゆけない。地は基盤ですね。植物は根を地に張ります。根があってこそ木は生きていけますし成長できます。植物の基盤は根です。この根が二黒です。二黒を易では「坤こん」と言います。「坤こん」=「根こん」です。つまり全ての基礎は二黒なのです。ですから生活の基盤・人生の基盤・人間の基盤をさして「二黒」と言います。「仁」にはこの意味があります。

つまり「巧言令色鮮矣仁」は、「口先ばかりで人生の基盤ができていないぞ」と言っているわけです。
どうです?すっきりいくでしょう?

でもここで終わりではないです。まだ浅いです。まだ続きがあります。

気学では、人間の人生は一白水星から始まり、→二黒→三碧→…→九紫の順に造っていくとなっています。つまり一白(いっぱく)ができたら二黒に進む、二黒ができたら三碧(さんぺき)に進めれるということです。これはどういうことかというと、二黒ができなければ、三碧は絶対にありえない。人生の基盤(二黒)がなければ、人生の発展(三碧)は絶対にありえない。同様に一白ができなければ二黒は絶対にありえないということです。断定です。
一白はすべてのスタートです。意志を決めないと何も始まらない。一人で始めて苦しさに涙しながら基礎をつくっていく。そして足元がかたまり二黒ができあがる。そうやって続けて力をつけ蓄えた後、日の目をみる(三碧)。
ところが。
一白の凶の意味に「ごまかす」という意味があります。三碧の凶の意味に「嘘・ほら・中身のない話(言葉)」というのがあります。
そう。「巧言令色」は一白の凶。三碧の凶。これを指しています。

もうわかりますよね。「一白のごまかしをすれば二黒の基盤はできない。ごまかしばかりでは全く足元・基盤が出来ない」と孔子は言っています。そうですよね。順番なんですから。一次試験で合格しないと二次試験に進めれないのと同じです。一白ができなければ二黒もできない。
「嘘やホラばかり言うという事は、二黒の人生の基盤が全く出来てない証拠」と孔子は言っています。三碧ができていないのは二黒ができていないからだ、ということです。
二黒=坤(こん)が悪いのですから、坤=根が悪い。「根性が悪い」と言っています。
基盤が無いわけですから人生はまったく開けない。それどころか無くなります。二黒の凶の意味に「無」があります。つまり「巧言令色していると人生基盤が崩れて全て無くなるぞ」と言っています。

ここまでくると、仁の意味の一つの愛・やさしさも同時に無くなるとわかります。基盤も愛も二黒。二黒ができていなければこれ全てができていません。つまり「基盤と同時に愛も無くなる寂しい人生になるね」とも言っています。

もっと言っちゃいます。二黒の産み育むの意味から「子、部下、社員、民」という意味もあります。巧言令色をしていると子供、部下、社員、人民から見放される。あるいは子がズレた道に行く。そう言っています。二黒(じこく)が無くなれば地獄(じごく)です。

見事だなぁ〜とおもいます。十文字にもみたない文で、これだけの思想性を突っ込んでいるのですね。

オマケでいうと「鮮」の字です。「鮮」は鮮明にする・はっきりさせるですから「二黒が無いことがはっきりしてしまうぞ」と言っていますし、説文解字によると鮮は「魚の名前」とあるので「おまえ臭いぞ」と警告しているとも取れます。少・小・寡・減・失・無を使わず「鮮」を使ったのはこういう事なのかもしれませんね。