礼にあらざれば視ず

論語、顏淵に、

 顏淵問仁。
 子曰、克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉。為仁由己、而由人乎哉。
 顏淵曰、請問其目。
 子曰、非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動。
 顏淵曰、回雖不敏、請事斯語矣。

 がんえん仁を問う。
 子曰く、「己を克(せ)めて礼に復(かえ)れるを仁となす。一日己をせめて礼にかえれば、天下仁に帰す。仁を為すこと、己による。」
 顏淵曰く、「請う、其の目(モク)を問わん。」
 子曰く、「礼にあらざれば視ることなかれ。礼にあらざれば聴くことなかれ。礼にあらざれば言うことなかれ。礼にあらざれば動くことなかれ。」
 顏淵曰く、「回は不憫なりといえども、この語を事とせん。」

長ったらしいので一部だけ取り出します。本当は孔子の発言は全て繋がっていますが、前半と後半を繋げる部分については最後にヒントを出して終わりにします。
では分かりやすい後半をみましょう。

 礼にあらざれば視ることなかれ。
 礼にあらざれば聴くことなかれ。
 礼にあらざれば言うことなかれ。
 礼にあらざれば動くことなかれ。

どこかで聞いたような文ですね。でもこちらは4つあります。4つでないといけないのです。3つではダメ。
それは後天定位盤をみるとたちまち解ります。

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これにて今回はおしまい、、、にすると、気学を勉強していない方にはサッパリなので、続けます。

視る=九紫火星
聴く=一白水星
言う=七赤金星
動く=三碧木星

なんです。これが全てです(笑)。

視る作用、目は九紫が担当しています。
聴くのは一白。聞こえにくいという病気とか、中耳炎とかは一白の凶なんですね。だからここは一白です。
七赤金星は易で「兌(だ)」と言って、「説(と)く」という意があります。だから話すことは七赤。
三碧木星は行動の星です。また、太陽が昇るところの東であり、全てが動き出す時間でもあります。だから動くは三碧なのです。
この意味を知ると、何故孔子がこの4つにしたかスパっとわかりますね。

この東西南北4つのことを大事にせよ、と言っているわけです。

この4つを大事にした例として、例えば「子午線」というのがあります。気学では十二支も方位に当てはめて見ます。「子ね」は真北に位置し、「午うま」は真南に位置します。子午線は南北の線なんですね。
北は一白で、最初の決意を決めるところです。よしやろう!と決めるところです。発心なんです。これが子なんです。
南は九紫で頂点です。だから最終目標というものになります。
人間は意志の方向性が大事で、初念・発心をどこに向けるか、そのベクトルが大事です。意志にそって人は動いてゆきますから。人生は動きますから。だからこの子午線のラインは大事にされたのです。どういう目標にしているのか、どういう発心にしているのか、それで人生を創りあげていきます。
良い目標、良い発心であれば、人生をよりよくしていけます。でも逆ならぶち壊しです。
南北は陰陽から見ても面白い線なんです。陰陽はまた機会があったら話します。

東西は太陽が昇り始めるところと沈むところ。ここも大事です。どうやって太陽を昇らせるか(日の目をみさせるのか)、そして何を成果として得るのか。太陽がセットする西は、太陽が昇ってまわってきた成果が分かる時です。人間で言うと人生の成果。それが悦びになるものかどうかがとても大事ですね。どう立ち上げ、どう終わらすか。それを大事にせよということです。発心に従って足元を固め、それを表に出す。日(芽)が出るとき、どう固めてきたのかがわかる訳です。あるいは固め方が弱いと芽がでないかも知れない。そして出た芽がそだち、どのような実をつけるのか。その実をみれば歩いてきた人生がどういうものであったか解ります。腐った根性を持った芽を出せば、成果はボロボロでしょう。逆に努力の芽を育てて出せば結果は違います。

自分の未来を変えるためにも、この四つを大事にせよと言っているわけです。
単に口に気をつけろとか言っているわけではないんですね。その裏にはこんな考えがあります。

おまけ
「克己復礼為仁。一日克己復礼、天下帰仁焉」について、上級者向けにヒントをだします。天下は仁に帰すと言っているので、「仁の宇宙」であること。「君子以非禮弗履」と別の所で孔子は言っていること。です。感慨深いですよ。スルメのようにじっくり味わえます。