今回は『論語』ではなく『大学』*1の一節を気学で読んでみましょう。
所謂脩身在正其心者、
身有所忿懥、則不得其正、
有所恐懼、則不得其正、
有所好樂、則不得其正、
有所憂患、則不得其正、
心不在焉、
視而不見、
聽而不聞、
食而不知其味、
此謂修身在正其心、いわゆる身を修むるはその心を正すにありとは、
身に忿懥(ふんち)するところあるときは、則ちその正を得ず、
恐懼(きょうく)するところあるときは、則ちその正を得ず、
好楽するところあるときは、則ちその正を得ず、
憂患するところあるときは、則ちその正を得ず、
心ここにあらざれば、
視れども見えず、
聴けども聞こえず、
食らえどもその味を知らず、
これを身を修むるはその心を正すにありという。
5.先天定位盤 を使ってみます。
怒り、視る=九紫火星
憂い、聞こえにくい=一白水星
楽しむこと、食べること=七赤金星
おそれ=八白土星
です。
まず気づくことは、「視れども見えず…」の部分は「忿懥するところあるときは…」と関係しているということです。同様に「憂患するところ」⇔「聞こえず」、「好楽するところ」⇔「その味を知らず」です。何も思いつきで適当に「見えず」と言っているわけではないとわかります。例えば九紫のことができない(怒る)なら、九紫の他の意味合い(視る)も壊れていく、ということです。”xができないならxの同カテゴリーのyもできないね、当然の結果だよね”という感じでしょう。
次に九紫・一白・七赤・八白を先天定位盤に当てはめてみると面白いことが解ります。この文は盤の反対に位置する2つを頭に描いて言っているとわかります。この図をみていると、両方同時に崩れると言っている感じですね。九紫なり七赤なり片側にとらわれすぎると、その反対側(一、八)まで崩れるという警告です。どこかが出すぎれば全体のバランスが崩れる。天と地に一本柱を立てて、その柱に向かって座り、自分と向かい合う。そうすることで修正せよということでしょう。天=六白、地=二黒です。これは盤の中心にあり、一番上と一番下にあります。この2つをつなげる線はまさしく地から天に向かって伸びる線ですね。正中線ですね。そこをベースに整えれば、心ここに在るということでしょうね。
ついでに五行で見てみます。「視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず」は「九紫、一白、七赤」ですが、「火と水、火と金」の関係を持ってきていますね。水が悪いと火も悪くなる。だからやはり一つだけといっても外したり行き過ぎてはいけないということが解ります。
こうやって大学をみていると結構面白いです。気学の意味合いを使って言っているなという部分が多いです。さすがに孔子に匹敵するキレや深みがあるとは言いがたいですが興味深いです。
また大学には朱子の注釈のもの(大学章句)がありますが、個人的には章句よりも原本(旧本)の方をお勧めします。
ここまでの投稿で論語を気学・易にそって読むやりかたを5つ紹介しました。論語も大学も、日本語訳を読むだけでは、気学・易から言われているなと気づくことは不可能です。漢字オンリーの原文を眺めることでわかってきます。朱子などの後世の解釈本や日本語訳などは、気学・易から離れて書かれていて、場合によっては、彷徨(さま)よっている場合があります。やはり原文でしょうね。でもイキナリ原文を視ることはできないので、まず読み下し文を読んだ後に、原文を眺めると良いでしょうね。