巧言令色鮮矣仁

「巧言令色、鮮矣仁。」(こうげんれいしょく、すくなし じん)
論語、学而にある言葉です。有名ですね。

みなさんこの文を最初見た時「ん?」と思ったことはなかったですか?口先だけの人間は仁愛がない?んー?信用じゃないの??となりませんでしたか?私は学校で習った時理解できませんでした。でも気学から見るとスパっとわかります。

気学にそって見てみます。最も大事な語は「仁」です。これは誠実さとか親愛とかと趣が少し違っています。
「仁」はズバリ「二黒土星(じこくどせい)」のことです。

二黒の意味は「地」。大地です。
この地球を考えてください。大地があります。大地のおかげで植物はうまれ成長します。生物がうまれます。人間が立ってられます。人が生活できます。なんと鉱物資源も地下水もあります。人間は地からたくさんの物を頂きます。そして地球は、人間が地からとっていることに対して、何一つ文句を言いません。凄いことだと思いませんか?産み、育て、与えているけれど、何も要求しない。無償の愛ですよね。
母親もそうですね。子供からの見返りを求めることは一切ない。そこには産み育み成長させることだけがあります。そこから二黒には「母」という意味もあります。
つまり「仁」とは、地球の愛、無償の愛、母の愛、やさしさという意になります。

さらに。
仁=二黒、二黒=地。地がなくては人は生きてゆけない。地は基盤ですね。植物は根を地に張ります。根があってこそ木は生きていけますし成長できます。植物の基盤は根です。この根が二黒です。二黒を易では「坤こん」と言います。「坤こん」=「根こん」です。つまり全ての基礎は二黒なのです。ですから生活の基盤・人生の基盤・人間の基盤をさして「二黒」と言います。「仁」にはこの意味があります。

つまり「巧言令色鮮矣仁」は、「口先ばかりで人生の基盤ができていないぞ」と言っているわけです。
どうです?すっきりいくでしょう?

でもここで終わりではないです。まだ浅いです。まだ続きがあります。

気学では、人間の人生は一白水星から始まり、→二黒→三碧→…→九紫の順に造っていくとなっています。つまり一白(いっぱく)ができたら二黒に進む、二黒ができたら三碧(さんぺき)に進めれるということです。これはどういうことかというと、二黒ができなければ、三碧は絶対にありえない。人生の基盤(二黒)がなければ、人生の発展(三碧)は絶対にありえない。同様に一白ができなければ二黒は絶対にありえないということです。断定です。
一白はすべてのスタートです。意志を決めないと何も始まらない。一人で始めて苦しさに涙しながら基礎をつくっていく。そして足元がかたまり二黒ができあがる。そうやって続けて力をつけ蓄えた後、日の目をみる(三碧)。
ところが。
一白の凶の意味に「ごまかす」という意味があります。三碧の凶の意味に「嘘・ほら・中身のない話(言葉)」というのがあります。
そう。「巧言令色」は一白の凶。三碧の凶。これを指しています。

もうわかりますよね。「一白のごまかしをすれば二黒の基盤はできない。ごまかしばかりでは全く足元・基盤が出来ない」と孔子は言っています。そうですよね。順番なんですから。一次試験で合格しないと二次試験に進めれないのと同じです。一白ができなければ二黒もできない。
「嘘やホラばかり言うという事は、二黒の人生の基盤が全く出来てない証拠」と孔子は言っています。三碧ができていないのは二黒ができていないからだ、ということです。
二黒=坤(こん)が悪いのですから、坤=根が悪い。「根性が悪い」と言っています。
基盤が無いわけですから人生はまったく開けない。それどころか無くなります。二黒の凶の意味に「無」があります。つまり「巧言令色していると人生基盤が崩れて全て無くなるぞ」と言っています。

ここまでくると、仁の意味の一つの愛・やさしさも同時に無くなるとわかります。基盤も愛も二黒。二黒ができていなければこれ全てができていません。つまり「基盤と同時に愛も無くなる寂しい人生になるね」とも言っています。

もっと言っちゃいます。二黒の産み育むの意味から「子、部下、社員、民」という意味もあります。巧言令色をしていると子供、部下、社員、人民から見放される。あるいは子がズレた道に行く。そう言っています。二黒(じこく)が無くなれば地獄(じごく)です。

見事だなぁ〜とおもいます。十文字にもみたない文で、これだけの思想性を突っ込んでいるのですね。

オマケでいうと「鮮」の字です。「鮮」は鮮明にする・はっきりさせるですから「二黒が無いことがはっきりしてしまうぞ」と言っていますし、説文解字によると鮮は「魚の名前」とあるので「おまえ臭いぞ」と警告しているとも取れます。少・小・寡・減・失・無を使わず「鮮」を使ったのはこういう事なのかもしれませんね。