どういう人が良い(できる)リーダー(君子)か。易経では何度も言及されている考えですが、とっつきやすく論語から抜き出してみましょう。例えば
學而には:
有子曰。禮之用和爲貴。
礼の用は和を貴(とうと)しとなす。
爲政:
君子周不比。小人比而不周。
君子は周して比せず。小人は比して周せず。(“比”には誰かに追従する意味もある)
子路:
君子和而不同。小人同而不和。
君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず。
衞靈公:
君子矜而不爭。群而不黨。
君子は矜にして争わず。群して党せず。
子張:
君子尊賢容衆
君子は賢を尊び衆をいれ
“和”とか”周”など、これらを見ているとなんとなくニュアンスがありますね。
リーダーがどこかに肩入れすることは無い。どこかと争うわけでもない。独りで全てをやるわけでもない。全てを支配するわけでもない。”俺がやってやった、俺のおかげだ”なんてのもない。もちろん”俺に逆らうな”とか威張ったり暴れたり傍若無人は論外。
ではこれら書物がいうリーダーとはどういうことなのか。
周りの意見をまとめ、周囲の人々の心をあわせ、周りと共に行動しつつも、全ての人々を載っけてあるくリーダー像ということです。
先頭をきって戦う・従わせるのがリーダーではないということですね。この強いリーダータイプでは大きなことはできない、全員がゴールへと到達することはできないのです。仮に何かをなしたとしても長く続かないのです。
今のリーダー論には一強が全てを率い命令していく(従わせる)というのがありますが、論語・易経では逆で、協調や共感(心の感動)、受け入れることなどが説かれます。
おもしろいですね。
今よりも物騒な時代・世界でそれを言い切るのが驚きですね。
さらに言えば、最近の世界のリーダーシップ論は、強さよりも周囲との調整が言われているのです。紀元前の書物にますますもって驚きますね。